2012/03/20

あなたの日常を台無しにしているたくさんの決めつけ

ロバート・シャインフェルドのブログ記事の和訳です

私と妻は結婚して16年経つのですが、今月の始めにやっと新婚旅行へ行ってきました。アングィラにある Cap Juluca という名の島で、素晴らしいリゾート地です。

島に着いた初日、私たちは長い間ビーチを散策しているうちにとても暑くなり、汗をかき始めたので、泳ぐことにしました。






しかし、水の中に入ろうとすると、
「ああ、ものすごく冷たそうだ」
という思いが浮かんできて、私はなかなか水に飛び込むことができません。

昔、私が水泳の選手だった頃、水に飛び込んだ時に感じていた冷たさや不快感の記憶がありありとよみがえっていたのです。



その時、私はそれまでに自分の教義を構築しているうちに発見していた、ある事実を思い出しました。

それは、
「冷たい」
というのは、単なる決めつけだということです。


水に飛び込んで「冷たい」と言うとき、なぜ「冷たい」と分かるのでしょうか?
疑問に思ったことはありませんか?

眼を閉じて、皮膚に水が触れる感覚そのものに意識を集中すると、そこに「冷たい」と示してくる何かがあるでしょうか?

無いですよね。

そもそも、なぜ「冷たい」ことが「不快」と言えるのでしょうか?
疑問に思ったことはありませんか?

眼を閉じて、皮膚に水が触れる感覚そのものに意識を集中すると、そこに「不快」と示してくる何かがあるでしょうか?

まったく無いですよね。


「冷たい」とか「不快」というのは、単なる決めつけです。頭の中の作り話なのです。


こういうことは全て、自動的かつ瞬時に、私が「思考マシーン」と呼んでいるものが作り出すのです。
そして私たちはほとんどの場合、そのような決めつけを、真実かどうか確かめたり疑ったりすることなく受け入れているのです。



そのことを思い出して、私は水に飛び込み、「体が水に触れている」という確かな感覚だけを受け入れました。これは、私が「真実の体験」と呼んでいるものです。

体が水に触れると、私は自分の意識がとても強烈な感覚を感じ取っていることにしっかりと気付きました。鮮明な感覚です。
この感覚に、なぜ「冷たい」とか「不快」という決めつけがされるのか、分かります。

しかし「思考マシーン」が、

"「冷たい」のは「現実」で、「悪い」ことで、「不快」なことである"

という解釈や決めつけをしなければ、水の強烈な感覚は、実際はとても心地よいものだったのです。




私たちの日常生活や仕事の場において、一体どれだけのことが、本当はこのように素晴らしい経験となり得るのでしょうか?



お分かりのように、私がここで述べていることは、水や冷たさに限った話ではなく、あなたが実際に経験する (外側の世界でも内面の世界でも) 全てに例外なく当てはまることなのです。



Posted on December 16th, 2011 by Robert Scheinfeld
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