2013/04/25

バーチャルリアリティー


Awakening to What We Really Are というタイトルの
音声ファイルから訳しました。







目覚めが起こると、この世界は、根こそぎ崩壊しはじめます。



それまで生きてきた おなじみの

「世界」や「自分」という感覚を

失ってしまうのです。




その瞬間...


それは本当にほんの一瞬の間だったり、
あるいはもう少し長い時間かもしませんが




とにかくその瞬間



自分というものは
想像をはるかに超えた存在だった



ということが
驚くほどハッキリと分かるのです。





目覚めの瞬間に知ったことを明確に言い表すのは
とても難しく、



自分自身が「気付き」そのものだったことに気付いた
とか

自分自身が「意識」そのものだった
など

いろんな人が、いろんな表現をしています。






私はよく




自分は魂・スピリットであり

また同時に

あらゆる存在や あらゆる物が 

何もかも全てスピリットだと気付くのですよ





という表現をします。






しかし このような描写をすると、
頭というものは


なるほどねぴかっ!
真実の世界とはコレコレこういう感じなのだ想像



という特定のイメージや考えを創り上げてしまい、

そうすると、またもや真の認識は失われてしまうのです。




なので
世界の正体を言い表すことは本当は不可能であり、
このように言い表すのがやっとでしょう。



世界とは、私たちが思っているようなものではない」




「世界とは、私たちが教えられてきたようなものではない」






そしてもちろん、こうも言えます。




「私たちは、自分たちが思っていたような存在ではなく、

また、こんな感じだろうなどと想像できるような存在でもない。

なぜなら、文字どおり、想像を絶する存在なのだから」






本当の自分は

「別々の個人」

「バラバラに切り離された個別の存在」

のフリをして、私たちを観察していますじーっ


どんなときも常に

この世界で起こる全ての体験に参加しているのです。








目覚めの瞬間に知ることは、



私たちが

「物」や「人」や「実在」ではなく、

「物」や「人」や「実在」や「体験」あらゆる全てを

創り上げている存在だということです。

世界という夢をみている存在なのです。






おきまりの世界観にとらわれた頭にとっては、
このような話はバカげた空想のように思えるでしょうhua-*



目の前にリアルに見えている世界が
想像の産物だなんて
頭にはどうしても信じられないでしょう。





人間の頭や肉体は
コンピューターのようなものなんです。



コンピューターの世界が
バーチャルリアリティーだということは
みんな知っていますよね。


つまり私たちは
頭というコンピューターにプログラムを書き込んでコンピュータ
世界を創り上げているのです。



コンピューターのゲームにはルールがありますよね。


どのように進めていくのか

どんな行動をすると どんなことが起こるのか

ゲームの目的は何なのか

どうなればゲーム終了なのか旗




この世界もそれと同じ
まったくのバーチャルリアリティーなのです。




そして人間も
「条件付け」と呼ばれるプログラミングをされています。
「カルマ」という呼び方もあるでしょう。



この条件付けというのがまさに
頭や肉体へ書き込まれたプログラムなのです。



私たちの目や耳による五感、知覚もプログラムですじっ耳


そのプログラミングによって
バーチャルリアリティーが出来上がります。


私たちが見て体験しているこの世界は
頭や肉体に書き込まれたプログラムによって
文字どおり 創り上げられているのです。




そしてもちろん、
見たものや体験したことをどのように解釈するか
ということもプログラムされています。






そして悲しいことに





ほとんどの人々...大多数の人は



そんなバーチャルリアリティーを
本当の世界だと思い込んだまま
生涯を終えるのです。






アレが良いとか コレが悪いとか

誰々はこのようにすべきだとか

すべきではないとか

そんなことが起きてはいけないとか





いつもいつも 

何かをジャッジしたり、非難したりangry*

握りしめようとしたり、拒絶したり肉球


さらに
愛や憎しみ、怒り、嫉妬など

二元性の概念にとらわれて
押しのけたり追い求めたり....



いつもいつも
そんなことに固執しているのです。



これは思考だけの問題ではありません。


そのような思考によって
世界をどのように体験するか決められてしまうのです。




私たちの人生では、成長の段階であっという間に



「自分は、他の人とはバラバラの、別個の存在だ」
と教え込まれます。


「自分とこの世界は、つながっていない別々のものだ」
と教え込まれます。


「自分」と「世界」が、別々の2つのものだと、
そのように教え込まれるのです。



近所の人、両親、友達、犬や猫も
自分以外の、別の存在だと。





表面的に見ると
人間と猫は明らかに違いますね猫

親と子、母と娘、なども
表面的には確かに違いがあります。



しかし



この表面的な違いが
根本的な真実を見えにくくしているだけなのです。



この真実は
自分も世界もひとつだという直観や切望として 
私たちの奥深くで いつも活き続けています。


その真実に突き動かされて

自分と世界はバラバラだという誤った思い込みを修復しようと
私たちはスピリチュアリティーに惹かれていくのです。






このことを理解するのはとても大切です。




自分と他の人がバラバラで別個の存在だとか

自分と世界は 区別できる別々のものだというのは

まったくの思い込み、なのですよ。





ただ単に


バラバラなものとして認識するように教え込まれたから
そのように見える


それだけなのです。







しかし、やがて、
このバーチャルリアリティー全体が


まるで卵が割れるように、
パカっと割れるときがやってきます卵




そして、ひび割れた隙間から光が差し太陽
そのとき意識が 他の何かに変容して拡大します。

まるで私たちの意識・魂が
バーチャルリアリティーという偽りの牢獄から逃げ出すように。




そして瞬時に目覚めるのです。



「思い出す」という言い方のほうが
より正確かもしれません。



目覚めとは、まさに、思い出すことなんですよ。

3 件のコメント:

  1. この世は幻なんだよねって、私の周りにあるもの全部幻なんだよねって思って、壁に手を近づけて、そっと触ってみると、手が壁に突き当たるんだよね。すり抜けないんだよね。この世が幻ならどうして私の手は壁をすり抜けないんだろうっていつも思う。この壁は幻なんだっていい自分と壁に言い聞かせても、やっぱり手は壁に突き当たるのが悔しい。

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    返信
    1. 匿名さん
      コメントありがとうございます。

      そのように感じたり思ったり悔しがったりしている「私」も含めて幻
      ということなのかもしれませんね。

      削除
  2. 恵美といいます。
    二元性がいつ終わるのかとか、本物の神がいたらこんな形になるのだろうかとかいろいろ考えてしまいます。

    無理もないで道理が通るのならば、理もなにもない方が・・・
    いい遊びも悪い遊びも。陰陽とか/二元性はもう終わりにしてほしいです。
    何か別の形に生まれますように・・

    返信削除

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