2013/08/13

【基本実践3】意識的に生きる


前回のつづきです。




3つめは



意識的に生きること




意識的に生きることは

基本原理で話した目覚めた価値観」と

関わってきます。




簡単におさらいをしましょう。





エゴ意識の価値観は


目覚めた価値観とは違って

分離意識 つまり

基本的に恐れ」が土台になっています。




エゴの世界観では

自分は
世界や他人とはバラバラで孤独で

広大無限な宇宙の中の

とてもちっぽけな存在なので

根っこに恐れがあるのですね。




ですからエゴ意識は

ほとんど自分では気付いていなくても

分離を土台にした価値観を持っているのです。




エゴは「対立」にも価値を置いているんですよ

自分が対立を重視しているなんて

思ってもいないエゴも多いでしょうけど

事実そうなのです。



対立に価値を感じているから
被害者意識を持ったり
人を批判したりするわけですね




そして エゴは

コントロールすることも重視していて

コントロールを手放すことを

非常に恐れています。



もしコントロールを手放したら

望み通りにいかなくなったり

安全ではなくなると思っているのです。





このようにエゴは

分離意識に基づいた

物事や考え 信念に

価値を置いています




いま話しているエゴの価値観は

道徳的な価値基準というわけではなく


ただ エゴ意識そのものが

重要だ・必要だと感じて

握りしめているものですよ。





一方

目覚めた意識の価値観は

エゴ意識とは対照的です。



繰り返しますが

道徳的な価値基準ではなく

目覚めた意識 つまり

意識的なスピリットそのものが

何を重要だと感じているかということですよ。






意識的なスピリットは

「真実」に大きな価値を置いています。



どんな状況でも

どんなことについても

何が本当に現実なのか

何が本当に真実なのかを

重視するのです。



自分の考えを主張したり

議論に勝とうとしたりしません。



ただ

何が本当に現実で

何が本当に真実なのか。

これは

目覚めたスピリットが

とても大切にしていることです。








意識的なスピリットは

「調和」も尊重しています。



あらゆる存在の本質が

同じスピリットであり

すべてが究極的には

ひとつであることを
意識的なスピリットは知っています


この洞察があるから

調和をとても尊重するのです。






同時に

「自由」を尊重します。



自分だけではなく
すべての存在の自由です



つまり

意識的なスピリットは

誰のことも 何に対しても

批判したりコントロールしたり

支配しようとしたりしません。



すべての存在が自由であることを

尊重しています。






それから 「平和」。



もし人々が

口先だけではなく

本当に平和を尊重していたら

この世界に平和を創り出すでしょう。

でも実際は

平和を尊重するというのは建前だけで

行動が伴っていません。



それは人々が

自分の本質に気付いていないからなんですよ。



意識的なスピリットとして

自分の本質に目覚めたとき初めて

私たちは自然に
本当に平和を尊重するようになるのです



平和は

私たちの本質に

もともと備わっている特性なのですから。





そして 「感謝」。




人生や存在

すべての人や物に対する感謝。

あらゆるすべてが
ありのままであることへの感謝



意識的なスピリット

幸せになるために

何も変える必要はなく

すべては そのままでいいのです。



想像してみてください。

すべてがそのまま・ありのままで


幸せなのですよ。




エゴの視点から見ると

幸せになるためには

いろんなことが変わらなければならいでしょう。



エゴは

「過去を変えたい」

「もちろん現在の状況も変えたい」
「未来だって変えたい」などと言って

あらゆることが変わってくれたら

幸せになれるかも...と思っているのです。





しかし

スピリットは

もともと幸せと感謝に満ちていて

ありのままに感謝し

ありのままの人生と存在そのものに

価値を感じているのです。






スピリットはもちろん

「愛」にも価値を置いています。






愛は

調和を実体験として知ることで
自然と生まれるものです




私たちは別々の存在ではありません。

人間としての現れにおいて

個性はあるでしょうが

本質的には

私たちはひとつです。



このことに気付くと

すばらしい愛が生まれるのです。




あらゆる存在を
ものすごく親密に感じます



人生は

私たちの本質の現れだと分かります。



人生の広大無限さは

私たちの本質である

スピリットの現れなのです。




このことに気付くと

リアルな実感として

毎日の どんな瞬間にも
人生で出会うどんな存在にも

深い愛と

とても強い親密さ・親近感を感じるのですよ。







繰り返しますが

道徳的な価値基準ではありません。



スピリットにとって

もともと価値のあるものであり

これは文字どおり

私たちの本質の現れなのです。








真実、調和、自由、平和、感謝、愛



この目覚めた価値観が

本当の自分の本質なのですから

そういう価値観に

「なろう」とする必要はないのです。

「なろう」とするのはエゴ的な観点です。

この価値観は

本当の自分の真ん中から
自然と現れてくるのですよ












「すべてをあるがままにしていること」と

「私とは何なのか問うこと」を通して

目覚めることが

最も重要なことです。





そして

意識的に生きてください。




この


目覚めた価値観は

外側から取り入れなくても

内側で発見できるのですよ。

あなたの本質なのですから。




静かにじっとしていること」と

「問うこと」を通して

この目覚めた価値観を持った

本当の自分を発見するのです。





スピリットは決して

分離意識 つまり

恐れ・批判・コントロールなどを

土台にして生きません。





真実、調和、自由、平和、感謝、愛

この価値観をもとに

スピリットは生きているのです。





繰り返しますが

この価値観は

エゴが努力して身につけるべきものではなく



あなたの本質が

もともと持っているもので



あなたによって発見され

あなたによって生きられるのを
待っているのですよ






「意識的に生きること」とは

こういうことです。



スピリットがもともと持っている価値観を

発揮して生きることです。

本当の自分はスピリットだと気付けば

これは簡単にできるでしょう。




そして 

意識的に生きることは

自分だけではなく
全世界にとっての幸福につながるのですよ

真実の愛の表現です。









さあこれで

基本的な実践方法を3つお話ししました。






最初にも言ったように

基本が最も重要です。



みなさん

複雑で難しい教えを求めますが


基本は見失いやすいものです。




今回話した基本的な実践方法や

前回話した基本原理よりも

もっと複雑な教えもありますが

それでも

最も大切なのは基本なんですよ。





家と同じですね

土台がしっかりしていないと

家は倒れてしまうでしょう。




もっと複雑で細かい教えもあるけれど

スピリチュアルの教えは

基本が98パーセントです。




スピリチュアルの教えに慣れてくると

基本はもういいから

新しいことを学びたいと思うかもしれませんが



絶対に基本から動かないでください。

決して基礎から離れていはいけません。





なぜなら

この基本の中に

この基礎的な真実と原理の中に




とてつもなく深く

微細で

核心的な

叡智と愛

そして目覚めの実現が

含まれているのです。




この

ごくごく基本的な教えの中に



真実と

存在の神聖さを発見するための

生きた啓示が

隠れているのです。


  



ですから

基本から決して離れないでください。






正直に

誠実に 

意志と愛をもって実践すれば



この基本的な教えが

あなたを

今まで想像もできなかった世界に
連れていってくれるでしょう









おわり




 


2013/08/12

【基本実践2】私は誰?



前回のつづきです。




2つめは これです。




問うこと





さきほど話した1つめの実践方法は

完全にリラックスした状態になるための

誘導のようなものでしたが

2つめの「問うこと」は

少し自発的・積極的になる必要がありますよ。





愛や真実と繋がるためのものであり

リアリティーへの切望であり

私の教えの中でも
より大きな動きを伴う部分です







「私は誰? 私とは何?」




これが私たちにとって

究極的で最も深い問いです。





私たちが

エゴの夢から目覚めるまで

何よりもしっかりと取り組むべき

重要な問いなんですよ。





一方

私は何を求めているの?

私はどうなりたいの?



このような疑問は

「私は誰? 私とは何?」

という問いほど

重要なことではないのです。



なぜなら そんなふうに

何かを求めたり探したりしているのは

いつも「私」ですよね。



「私」の正体が何なのか知らないまま

その他のことが

本当に分かるわけがないでしょう。






いまここで

この画面を見て
この話を聞いているあなた




その「あなたとして生きている存在。

それが何なのか

本当に分かっていないと

人生で最もすばらしい贈り物を
受け取れないことになるのですよ






ですから

「私は誰? 私とは何?」

この問いは

私の教えの中でも

最も重要な部分です。





他のどんな教えについても言えることですが

どのように」実践する

とても大切なポイントですよ。

これは

単に頭で考えられるようなことではないのです。





この問いに対して

頭であれこれ考えて

どこかで見聞きしたイメージを

引っ張り出してきたりしたら

まと外れなことになってしまいます。


そんなことをしても

思考に浸ることになるだけですからね。






「私は誰? 私とは何?」

この問いは

あなたを

エゴが創り上げている夢の世界から
脱出させる手段なのです







これは

とてもシンプルなのですが

かなりの着実さが必要です。

そして

どのように問うかを

きっちりと理解しておかなければなりません。





「私とは何か?」

こう問うとき

しっかりと自分を見てください。




「『私』と言っているものは何なんだろう?」




ほとんどの人にはここで

いろんな考えが浮かんでくるでしょう。








記憶、身元、自己イメージ


性別、世代、年齢
性格、鏡に映る姿など







すべては

頭の中にあるものですね。





でも

もっとしっかりと

深く追求してみてください。

ここで いますぐに。 




自分だと思っているものはすべて

単に「思っている」だけだと

分かるでしょう。

思考の産物ですね。



その思考は

意識の中で起こっています。



あたなの中で起こっているのですから

それは「あなた」ではないのです。




あなたは 思考よりも

言ってみれば

一歩手前にあるということですよ。




私たちは

「私の思い」とか

「私は考えている」とか

「こんな考えが私に浮かんだ」などと

言いますよね。

「私」と「思考」は

同じものではないということですよね。






この問いは

意識と思考の狭間の夢うつつ状態や

自己イメージから

私たちを目覚めさせてくれるのです。





「私とは何なのか?」と問うことで

自分は思考よりも

もっと根底的で

より親密なものだと気付くでしょう。







「私」だと思っていたイメージを除外すると

何が残りますか?




何らかの感情や感覚があるという人もいるでしょう。



しかし

感情や感覚も

あなたのすぐ側で起こっている現象に過ぎず


あなたという意識によって

感知されているものなんですよ。

あなたが誰なのか・何なのかを

知る手がかりにはなりません。




では

さらに深く探ってみましょう。






「私の中で

 思考や感情や感覚が起こっているのなら

 その『』って何なの?」




いまこの話を見聞きしている

 いったい何?





思考や感情や感覚をアテにしなければ

あなたは誰なのでしょうか?






瞑想のように静かに

この問いかけをしてください。




すると

ムダにあれこれ考えたりせず

自分という直接体験から

答えを見つけることになるでしょう。





それが

この問いの大きな力なのです。






覚えておいてください。
ここがいちばん大切なポイントですよ







あなたの最も深いところを探らなければなりません。

頭で考えて答えを出そうとしないことが

この教えを実践する上で非常に大切です。





この問いによって

思考や感情から離れて

自分という意識の奥底へ

深く深く入っていくことです。








「私は頭の中に浮かぶ思いや考えではない。

 思考は刷り込まれた条件付けに過ぎない。

 私は感情や感覚でもない。

 これらはすべて

 広大な私の中で起こっているだけだ。

 それなら
 
 私はいったい何なの?」





深く 誠実に

しっかり問うと

静けさに辿り着きます。





言葉に出来るような答えは

見つからないでしょう。

もしも

言葉に出来る答えが出てきたら

それは間違いですよ。

答えは

意識の次元だけに現れるのですから。





思考や感情が自分ではないと分かり始めると

自分は思考や感情を内包している
意識」なのだと気付いてくるでしょう






これが

この問いの大きな力です。





もちろん

意識」というのも言葉ですから

意識」という言葉にとらわれていると

この教えの全てを

根本的に誤解してしまうことになりますよ。




自分という直接体験によって知る「私」は

言葉を遥かに超越しているのですが

ここでは

何らかの言葉で説明しなくてはいけないので

「意識」や「スピリット」という言葉を

使っているだけです。





私たちは

描写できるものではありません。

形も大きさも香りもなく

言葉にできないけれど

確かに存在しているので


私は「意識」や「スピリット」と呼んでいるのです。






意識が

いまこの瞬間も

存在していて機能していることを

否定できないでしょう?




仮にあなたが

「いまここに意識など存在しない」と

否定したとしても

私の話を聞いて否定したという事実が

意識がいまここに存在するという

証拠になりますね。

そのようなことは

意識なしには起こりえないことですから。







「私は誰? 私とは何?」



このように問うことで

あなたは考えるのではなく

逆に思考から抜け出すのです。

この点が非常に重要ですね。



そして その答えを

あなたは

いますぐ知ることが出来るんですよ。

むしろ

いましか知ることが出来ないのです。





スピリチュアルの教えを

何十年も学んでいる人でも

まったくの初心者でも同じです。

どれだけ長く学んでいるかなど

関係ないのです。




自分の本質への目覚めは

いつでも

いまこの瞬間、

いまこの瞬間だけに

可能なのです。





目覚めは

長年の修業によって起こるのではなく

いまここの

深い問いによって起こるのです








他の問い方も有効なんですよ

私が勧めている

もうひとつの問いはこれです。




これは本当に真実だろうか?




エゴ意識はいつも

いろいろ考えたり想像したりして

そんな

真実でもない信念や意見をもとに行動しますよね。




信念や意見は

結局

単なる信念であり

単なる意見です。



どちらも頭の中の思考であって

真実ではありません。



ですが

頭の中の思考を

本当に価値のある真実だと信じてしまうと

私たちは

幻想の世界で生きることになるのです。




私たちの思考は

時には

実用的で便利な場合もあるかもしれませんが

究極の真実は含まれていません。




あなたの意見も信念も

ひとつとして

究極的には真実でも現実でもないのです。




だからといって

信念や意見を持つなというわけでありませんよ。

信念や意見を持つことは仕方ないでしょう。




でも

どんな信念も意見も

真実ではないと知ることによって
とても自由になれるのです







エゴ意識は

「意見を持たなくてはいけない」とか

「信念を持つべきだ」などど言って

思考に執着しているでしょう。




信念や考えや意見を基盤にした世界でしか

エゴ意識は存続できないのです。



信念や考えや意見は

エゴ意識で生きる人々の

指針のようなものです。



自分や他人に対する

信念や考えや意見が

エゴ意識による夢遊状態の実体とも言えるでしょう。




そしてそれが

あなたを

本当の自分や

あらゆる存在の真実、

存在そのものの真実から

引き離すのです。





「これは本当に真実だろうか?」





この問いは

どんな状況でも使えるのですよ。





「この考えは本当に真実だろうか?」


「これは本当に確かだろうか?

 単に思い込みだったり

 信じているだけじゃない?
    

そう見抜いて

別の信念や意見にもとらわれなければ

どうなりますか?





自分の考えであっても

他のどんな意見であっても

あらゆる考え、信念、評価、不満などが

真実ではないと

見抜くことはできますか?






これは

苦悩や葛藤から自由になって

愛や思いやりや感謝に満ちた

まったく新しい生き方にシフトするために

非常に重要なので
すべての人にお勧めしたいことです






愛、思いやり、感謝、

そして

どんな思考も遥かに超越する叡智。


問うことによって
そこへアクセスできるのです





さきほど説明したように

シンプルにしっかりと問いかけるのですよ。





つづく