2013/09/19

何も望まないということ-2




そうなると

夢見の状態にあなたを留めておくものは
もう何も無くなります




私たちを夢見の状態に縛り付けるのは

感情的な固執です。


何かを望むということは

何かに執着しているということですからね。


自分と何かを
感情のヒモで縛り付けているので




ほとんどの人は

自分と「成果」を

感情のヒモで縛っています。




良い結果、好ましい成果

どこへ行きたかったのか、


世の中はどうあるべきか、

友達はどうあるべきか、

恋人はどんな言動をすべきか、


成果成果成果!!




そして過去さえもヒモで縛っています。

「ヒドいことが起こった!
 イヤだ。あり得ない...

なんて嘆いたりしてね(笑)




私たちは

過去をヒモで縛り

起きてもいない未来をヒモで縛り

自分が知っている人々すべてを

エネルギーのヒモで縛っているのです。




しかし

別の在り方もあるのですよ。



それが

スピリチュアリティーが深く成熟した状態です。



私はいつも不合理なこと」という言い方をしますね。

目覚めとは最も不合理なことです。


どこからともなく

特別な理由もなく

何かがやって来て

「もういい」という感覚になるのです。

あらゆる執着のジャケットを脱ぎ捨てて

「もう結構」と言うのです。



何かを握りしめたり
拒絶したりするような

感情的な固執は消え去るのです。



絶対的な真実が

あなたを目覚めさせ

あなたに寄り添います。




何にも固執しないで

人生が豊かで満たされた素晴らしいものになるなんて

夢見の状態の頭では

理解も想像もできないんですね。



何の固執も無いと聞いてイメージするのは

味気なくて 退屈で

活気がなくて

世を捨てて洞穴の中に座って

マントラを唱えているような

そんな状態でしょう。




「自由」とは何なのか

エゴには分からないのですから。





絶対的な真実から見れば

何かに固執するということは

どんなことであっても

苦悩であり

分離であり

つまならい堂々巡りの大騒ぎです。


そして必ず

そんなストーリーの結末には

苦しみが待っているんですよ。



固執すると

うまくいかない。



しかし

そういった固執が無いとき
「何か」があなたを導きます




それが何なのか分からないので

「何か」としか言えないのですが

あなたの中の 深い深い奥底で

思い当たるものかもしれません。



  










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