2013/06/30

使命感から醒める

(アジャシャンティのサットサンより)


<質問者>

10代の後半、確か17歳の頃

とても強烈な目覚めの体験をしたのですが

そのとき 



「自分には

 世の中の人々を目覚めに導く使命があるのだ」



と感じたのです。






<アジャ>

よくあることですね。






<質問者>

それで

「音楽を使って人々を目覚めに導くのだ」と

啓示を受けたような気がしたのですが

その方法に いまいちピンと来なくて

何年もの間 何もしませんでした。





でもやがて

目覚め以外のことには何も情熱を持てなくなったので

音楽を使って人々を目覚めに導くという活動に

人生を捧げました。




しかし

ミュージシャンとしてCDを出したりすることで

お金を使い果たして破産してしまい

自分がやってきたことが何もかもうまくいかず

悲惨な結果になったのです。






現在 私には生まれたばかりの子供がいて

もちろんそれはとても嬉しいことなのですが

そのような状況も理由になって

自分の使命だと感じていた活動を 

あきらめざるを得ない状況になりました。




売れなかったCDの大量の在庫を見ては気が滅入り

自分が音楽に込めたメッセージも無意味に思え

私の人生は失敗のように感じるのです。








<アジャ>

もしも過去に戻って

その「失敗」を取り消すことができるとして

その代わり

子供を授かることも無いとしたら

どう思いますか?


今の状況とどちらかを選べるとしたら

どちらを選びますか?







<質問者>

どちらかを選ぶなんて出来ません。



「自分には人々を導く使命があり

 世界の役に立つために生まれて来たのだ」と

感じていたのですが



だからといって

その使命を果たすためなら

子供を授からなくてもよかったなんて

考えることもできません。





<アジャ>

そうでしょうね。

葛藤がよく分かりますよ。






<質問者>

現在またお金が底を尽きかけていて

経済的に困った状態にあるので



いったいなぜ そんな使命を感じて

それがうまくいくなんて思ったのか

なぜこんなことになってしまったのか

強い不満や疑問を感じるのです。






<アジャ>

目覚めの体験が起き始めた最初の頃

そのような使命を感じるのは

よくあることなんですよ。

それも目覚めのプロセスの一部なのです。






禅では そのような状態をうまく描写して

「空(くう)に酔っている」と言います。





そのような使命を感じているとき

あなたは酔っぱらっているのです。



別に悪いことではないのですよ。



目覚めの初期段階において



自分は重要なメッセンジャーだ」とか

人々を目覚めに導くのが使命だ」とか




そのような感覚にとらわれて情熱を燃やすのは

とてもよくあることなのです。

悪いことではなく

自然なプロセスなんですよ。




なぜ そんな使命を感じたのか?

その疑問に対する答えは



多くの人にとって 

それも目覚めのプロセスの一部だから。

それだけのことなのです。




赤ちゃんからいきなり少年になるのではなく

まず幼児というプロセスを経るのと同じことで

ごく自然なことなのですよ。




素晴らしい思いに突き動かされてやったことなのに

結果的に

失敗と思えるような状態になるかもしれませんが



それは

冷静になって シラフに戻されるプロセスなのです。


目覚めの初期段階では

どうしても冷静ではなくなり

酔ってしまうものですからね。

酔った状態から シラフに戻されるところなのです。




酔いから醒めるプロセスでは

お金を失ったり 失業したり

けっこう困難な体験をすることが多いのですよ。

二日酔いみたいなものですね。


ですから

酔いから醒めるキッカケになった出来事に対して

不満を感じるのも不思議ではありません。




今後ずっと使命感に駆られて生きるわけでは無いのですよ。



そのような使命感は

目覚めの途中の通過点でしかないのですから。







私たちは

ただ自分自身であることがギフトなのですよ。





誰かが

あなたや私のCDを買ってメッセージを聞いたとしても

それは本当のギフトではないのです。






本当のギフトは

自分自身として人生を生きる

その生き方なんですよ。




精一杯 心を込めて 生きることです。




毎日の生活の中で


出会う人々と どのように接するか。



起こってくる出来事に どう向き合うか。


家族にどのように接するか...。




メッセージなど何も発信しなくても

ただ本当の自分として生きることがギフトなのです。






禅では

「真実は 心から心へ しっかりと伝わる」

と言います。





言葉を超えて

心から心へ

意識から意識へ伝わっていくのです。





真実を伝えることは

大きな使命などにしなくても

それほどシンプルなことなんですよ。





使命感に燃えることは

いくら善意であっても 危険なことなのです。




熱心に人々を導こうとしている人を見ると

幻想にとらわれていて危険だと感じるのに

自分がそうなっていると

なかなか気付けないものなんですよね。




何十年も使命感にとらわれたままになる前に気付いて

あなたはラッキーなんですよ。






(つづく)





2013/06/27

インスピレーション

こちらから訳しました。





<質問者>

「私たちを通して人生が生きている」と

以前おっしゃっていましたよね。

でも今の私の人生には

特に何も起こらないのです。






<アジャ>

あなたを通して起こっている人生など

何も無いように感じるんですか?





<質問者>

そうです。







<アジャ>

「何の動きもなく 何もすることがない」

そういう流れに

そのまま身を委ねたとき

見えていなかったものが見えてくるのですよ。





「ワクワクするようなことが何も無い。

 何もやりたいことがない。

 でもアジャが身を委ねろと言ったから仕方ないしょぼにゃん




などと言って

表面的に受け入れるのではないのですよ。





そうではなく もっと深く

人生の流れと本当にひとつになって

完全に身を任せるのですヨット




「ワクワクするようなことや

 夢中になれることを見つけて

 イキイキと生きたいキラキラ☆




 あなたは心からそう望んでいて

 それを探し続けている。

 でも見つからない。




それで悩んでいるんですよね?







<質問者>

その通りです。







<アジャ>

それは

「今は外側を探しても見つからないよ」という

人生からのメッセージのようなものですね。




外側を探しても何も見つからないときは

自分の内側に

本当に じっくりと耳を澄ますと

そのとき初めて見つかるのです。







人生があなたにこう言っているのですよ。

「悪いけど 今は外を探しても何も見つからないよ」と。




そして あなたが

「OK じゃあ探すのはやめたばんざい」と

人生からのメッセージに完全に同意したとき




「あっ これが私のやりたいことだ発見」と

ふと見つかるのです。







行き詰まりを感じたときは

そのまま行き詰まっていればいいのです。





「そしたらますます

 どうしようもなくなるんじゃないの?こまったひよこ


と思うかもしれませんが






人生では時々

完全に行き詰まることによってのみ

道が開けることもあるのですよ。








やりたいと思うことが外側には見つからないときは

まず内側からインスピレーションが生まれて

それが外側に反映されるんですね。












まず第一に

自分の気持ちをまっすぐに見ることです。

とても大切なことですよ。






自分の中に

「夢中になれることを見つけたい。

 もっとイキイキと生きたい。

 生き甲斐を見つけたい。」




こういう思いがあるということを

しっかり確かめるのです。

諦めたり妥協したりしないように。




そして

やりたいことを外側で探すのを

しばらく止めることです。





外側で探すのを完全に止めていると

インスピレーションの泉に出会えるでしょうみずたま






「何をすればいいの?」

「何にワクワクするだろう?」などと

考えることさえ止めていると

インスピレーションそのものが見つかるのです。





インスピレーションそのものが見つかれば

それは何らかの形となって現れます。





そうなると

もう探すまでもなく

「ああ これだうさぎ」と

すぐに分かるでしょう。






でも今までと変わらず外側で探し続けていると

何も見つからないのですよ。







あなたの人生において 今は

インスピレーションは外側にあるのではなく

内側の静けさの中で見つかるようになっているのです。





逆説的でしょう。





「もっとイキイキと生きたい。

 夢中になれるものを見つけたい。」





あなたはそう望んでいるけれど

その望みを叶えるための種は

今はあなたの内側にあるのです双葉♡




「あなたの内側にあるのです」なんて

スピリチュアルっぽい表現ですが笑



今このように説明しているのは

あなたが

ほとんど真逆のことをやっているからですよ。





あなたは

イキイキと活躍できることを

外の世界で見つけなければいけない

そう思っているでしょう?






でも今は逆なのです。

今はまず あなたの内側に目を向けるのです。






外の世界は

しばらく放っておいてください。

ただし

外の世界でイキイキと活躍したいという意図は

そのまま持っておくのですよ。

しばらく外の世界で探すのを止めるだけです。








外の世界で探すのを完全に止めると

エネルギーが

インスピレーションの泉へ戻ってきます。




逆説的なのが分かりますか?





外の世界でイキイキするための種を

内側で見つけるのです。







そんなに時間のかかることではないのですよ。

何年もかかることではありません。




ほんの1分かもしれないし

1時間か 1日か

1週間か 1ヶ月か...




どれだけ時間がかかるかは

どれだけしっかりと深く

内側にエネルギーを戻したかによるのです。








インスピレーションは

このようにして起こるのですよ。





これは

創造力がカギになる生き方をしている人々なら

みんな知っていることです。

インスピレーションのスイッチは

オンになったり○ 

オフになったり×するのです。




半分だけオンになる人もいますけどね。

私の場合は

完全にオンか 完全にオフかのどちらかです。






スイッチがオフのときも

そのままでOKと完全に委ねて

何をすべきかなども考えずにいれば

再びインスピレーションの泉に出会うのです。








どうすればいいのか分からなくなって

外の世界に何も見つからないときは

いつでも内側に戻って

「分からない」というそのままの流れに

完全に身を委ねることです。



「分からない」という状態の深みに行き着けば

インスピレーションに出会うでしょう。








今のあなたに起こっていることは

そういうことだと私は感じますよ。







あなたの内側の奥深くで

何かが待っていて

あなたが深みに潜り込めば

そこで出会えるのです。




それはシンプルなことかもしれないし

あるいは手が込んだことかもしれません。








内側にエネルギーを戻すということを

しっかりやってくださいね。

そこが大切なところなのですから。








インスピレーションをうまく使える人は

みんなそのようにやっているのですよ。




ミュージシャンもギター

画家もパレット

詩人もbook*

創造的な仕事をしている人はみんな






何の動きもない自分の内側に戻ることで

インスピレーションの泉に出会えるということを

知っているのです。



外側で表現することと同じように

内側に戻ることも大切だと

よく知っているのです。







鮮やかでイキイキとした創造力を望みながら

自分の内側にエネルギーを戻さないでいると

何年でも あるいは一生涯

行き詰まったままになってしまうんですよ。

こういうことはなかなか

教えてもらえないですからね。



「外側に何も見つからなくなったら

 次は内側に戻るんだよ。呼吸と同じことだよ」と。









試してみて

どうなったか教えてください。









<質問者>

ひとつだけ

「これがやりたい」と分かっていたことは

ここに来ることでした笑












<アジャ>

すばらしいことじゃないですか。





みなさん

「やりたいことを見つけたい」というとき

大きなことばかりを想定しがちでしょう。




そして小さなインスピレーションを見過ごしているのです。





たとえば

「ちょっと近所をブラブラ散歩したいなパンさん/歩く」とか。





そういう小さなワクワクを見過ごさないで

ぜひ実行してください。





小さなワクワクに従っていると

すばらしいことが起こってくるのですよ。



小さなインスピレーションが 

大きなインスピレーションにつながっていくのです笑ううさぎ







大きなことばかりに気を取られていると

小さくても重要なインスピレーションに

気付けなくなってしまいますよ。







みなさん

ぜひ自分で実験してみてください。

真剣にならなくていいので

ゲームのように楽しみながらやってみてください音符







たとえば

家に帰ってソファに座っているとき

「立ち上がろう」というちょっとした衝動があったら

それに従うのです。




「よし!!今このソファから立ち上がるのだ肉球 モカちゃん

なんて大げさな感じじゃなくていいんですよ笑





ソファに座って のんびりと過ごして

数分後でも何時間後でも





ある瞬間「立とう」と ふと体で感じたとき

立ってみるのです前にならえ



「さあ、いったいどこへ行くのかなるん♪」と

ワクワクしながら笑

あとは体に任せるのです。




トイレかもしれないし

本棚に向かうのかもしれないし

誰かに電話をするのかもしれないし




意図的に体を動かすというより

体に付いて行くという感覚で動いてみましょう。






小さなことから試してみてください。

どうなるかはお楽しみです。

2013/06/26

人生は流れ

(アジャシャンティのサットサンより)


エゴとは

ひとつの意識状態のことです。




世界に対する認識の仕方のひとつを

エゴと呼ぶのであり




私たちの中に

エゴという特定の何かが見つかるわけではありません。







「意識状態」を見つけることなどできないでしょう?



エゴのフィルターを通して知覚した世界

という

ある意識状態の結果を見ることができるだけです。





そして

エゴ意識の状態が強まるにつれて

苦しみも大きくなるのですよ。





最初は概念的でもいいので

このことを理解しておくとよいでしょう。










感情も 心理的パターンも

物事に対する知覚の仕方も

すべては

ある意識状態の結果なのです。









たとえば

「世界は危険で恐ろしい」

という思いがあるとします。







「世界は危険で恐ろしい」というのも

「世界は安全で平和だ」というのも

どちらも真実ではありません。



どちらも ひとつの認識に過ぎず

ある意識状態の結果だというだけです。








意識状態とは

世界を見るときのメガネのようなものですねキラン!




黄色いレンズのメガネをかけていたら眼鏡

世界は黄色く見えるでしょう。

でも青いレンズのメガネに変えるとメガネ

世界は青く見えますね。






そのように

私たちが知覚している世界は

自分の意識状態の反映に過ぎないのですが

それが真実だと思い込んでいるわけです。






「自分が見たり聞いたりしている世界は

 絶対的な揺るぎない現実なのだ」





こんな思い込みが

根本的な誤解だといえるでしょう。




目覚めとは

そのような誤解から目覚めることです。








゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚







エゴに支配された意識状態にあるとき

私たちは

人生の無限の流れに対して

様々な方法で抵抗しようとします。





しかし

意識がオープンであるとき

つまり

人生の流れに抵抗していないときは




私たちは

よくスピリチュアルの教えで聞くように

解放的で 自由で

宇宙との深い繋がりを感じハート

ポジティブな感覚に包まれて

とてもいい気分になります。





そのような気分になっているときは

人生の本質と繋がっているという兆しなのです。








人生の流れの中で

何が起こっても

それを押しのけたり

しがみつこうともしないで





流れに抵抗していないとき

自由でポジティブな気分になるのですよshabon+.










いまこの瞬間

人生の本質とは




あなたが今座っている場所でありチェア


あなたが今着ている服でありTシャツ


あなたが今抱いている思いや感情であり…


あなたが今いる部屋の雰囲気や環境であり家


あなたが今体験していることですうさちゃん入浴中





そういった全てが

人生の本質の現れなのですよ。








人生の無限の流れとは

いまこの瞬間です。

つまり「いつでも」ということですね。

人生がいまこの瞬間以外であることなど

決してないのです。







゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚






人を批判したり

自分を責めるということは

私たちの社会ではとてもよく見られますね。





私たちが何かを批判した瞬間



...ここで言う批判とは

賢明な判断のことではありませんよ...







私たちが何かを批判した瞬間

私たちは

人生の流れから自分を引き離し

流れに抵抗することになるのです。








誰かや何か または自分自身を

批判したり 攻撃したり 否定したり。





そういうとき モヤモヤした気分になるのはブタ

何かを批判したり責めたりすることが

道徳的に良くないことだからではなく




人生の流れに逆らっているからなんですよ。





人生の本質を

追い払おうとしたり

しがみつこうとしたりして

流れに抵抗しているからなのです。








流れに逆らっていると

私たちの視野は狭くなり

また

流れに逆らうことで生じる

人生の流れとの摩擦を

実際に体感します震える







人生とは 無限の流れなのです。

その流れにゆったりと身を任せることでハート・バルーン

真実と静けさを体験することができるのですよ。










゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚





「自分のものとしてキープしておきたい」



このような自己中心的な思いは

スピリチュアリティーにおいて

深く成熟している人にも起こります。






自己中心的というのは

悪い意味で言っているわけではありませんよ。




間違っているわけではなく

ただ 結局は

自分にとっても周りにとっても

気分の良くないものだというだけです。






自己中心的とは

いったい どういうことなのか

善し悪しの判断抜きでよく考察すると






「『自分』のために

 気持ち良いことに しがみついていたい」



「『自分』のために

 不快なことは 追い払いたい」








大ざっぱに言えば そういうことでしょう。







そのような態度は

スピリチュアルの目覚めにおいても

なかなか失われないものなのです。









「目覚めの状態を『私のもの』としてキープしたい。

 この感覚を失いたくない。」






無意識にそう思って

しがみつこうとしたり






また







目覚めの体験や 素晴らしい洞察を

「自分のもの」として握りしめて

自分をキラキラと輝いた

特別な存在にしようとする王冠









そうなると あっという間に

意識も視野も グングンと小さく狭くなって

エゴ意識の状態へ引き戻されていくのです。









目覚めを体験しても

エゴという意識の状態に入り込むと

そのような暗闇に出くわしますが




そのような暗闇からも

完全に目覚めることは出来るんですよ。




暗闇さえも

追い払おうとしたり

しがみつこうとしたりしなげれば

私たちに影響を与えることはないのですから。











スピリチュアリティーの本質は

自己中心的とは逆に

人生の無限の流れに身を委ね

自分を開け放つことなのです。

2013/06/21

いま

(バート・ハーディングのサットサンより)


<バート>

「いま」だけが

たったひとつの実在で

あらゆる全てなので




「いま」に

意識を向ければ向けるほど




いろんなことがハッキリとしてきて

不安や悩みなんか

次々と消えていくのですよ。









それでは

「いま」について

なるべく簡単に説明してみましょうね。












さて

ここに 鍋を持ってきました鍋





鍋というものは

どこに実用性があるのでしょう。

実際に役に立つ部分はどこでしょうか?









この何もないスペースですね。

空っぽなところが役に立つのです。




その他の部分は

空のスペースを支えるためのものですね。






この空っぽなスペースがあるから

野菜やお水を入れてスープなどを作れるわけです鍋







この空スペースのことを

容器や入れ物と呼び





容器の中に入るもののことを

中身や内容と呼びますね。





とても大切なところなので

よく覚えておいてくださいね。











さて

私たちは「人間」です。






「人」は中身で

「間」が容器にあたるところ、

つまりスペースなのです。

中身を内包しているスペース。







このように人間という言葉には

「人」という中身と

「間」というスペースの

2つの意味があることを理解していないと

スピリチュアルの教えは

矛盾しているようで分かりにくくなるのですよ。










中身や内容は

その時その時で変わっていっても

容器はそのままですよね。








私たちは時間とともに

さまざまな変化を体験しながら生きています。





たとえば

この肉体もずっと同じではなく






赤ちゃんの体生まれたてのひよこ

子供の体ぴよぴよ


青少年の体ひよこ

大人の体などにわとり





違う体になっていきます。







価値観や信念も

その時その時で変わっていくものです。









しかし

意識という「容器」にあたる方は

不変で永遠なのです。









「容器」の重要なポイントは

空っぽであること。




つまり「無」ですよね。






「無」とは

「完全」でもあるのです。







さあ

とても大切なことを理解していきましょう。







私たちがいつも探し求めているものは

本当の自分である「無」なのですが






あらゆる全ての本質であるがゆえに

なかなか気付くことができないのです片福面と一緒







そして私たちは

無に内包されている中身のほうを

自分だと思ってしまうのですねまいどー!!








もちろんそれも

真実の現れなのですが

本当の自分そのものではないのです。













みなさん

海辺でのんびりしていて椰子の木

心配ごとや不安など特に何も頭になくて

完全にその瞬間にゆったり寛いでいるときシャボン水玉

とてもいい気分じゃないですか?









釣りが好きな人だったら

たとえ何も釣れなくても

水辺で釣り糸をたらして

ただのんびりと過ごすだけでも釣り音符

とても気持ちがいいでしょう。










そういうとき私たちは

完全な「いま」に在るのです。








本当の自分は

安らぎそのものなんですよhowa*






人々は心の安らぎを求めていますが

安らぐためには何もする必要はなく

ただ ありのままに

本当の自分であればいいのです。












「本当の自分とは『いま』なのです」






こう聞くと

どうすれば「いま」の中に入れるの?

と疑問に思うかもしれませんが

どこに行く必要もないのです。






あなたが

「いま」そのものである「容器」なのですから。











だったらなぜ

恐怖や不安を感じるようなことやしょぼにゃん

厄介な問題が起こったりするのでしょうか?











そういう出来事もすべて

本当の自分という容器の中の

「中身」なのです。








容器である本当の自分は

スペースであり

「無」であり

そこでは何も起こっていないんですよ。





頭では理解できないかもしれませんが

ハートでは感じられるはずですハート





そうじゃなかったら

みんな今日ここに来ていないでしょう。










完全無欠な容器である「無」





つまり本当の自分に意識を戻すと

恐怖や不安など

消えてしまうのですよ。





「無」には

文字通り何もないのですから。







たとえば



怖いと感じるのは

「何か」を怖いと思っている

ということですよね。



怖いと感じている何らかの対象が

必ずあるわけでしょう?



悩んだり不安になっているときも

「何か」について考えているわけです。




起こったことを後悔していたり

これから起こることを

何とか解決しなければと思っていたり。






でも「いま」に在れば

愛や 喜びや 安らぎ以外

何もないのです。





愛や 喜びや 安らぎは

「何か」によってもたらされるものではなく


「いま」そのものが

愛であり 喜びであり 安らぎなんですよ。







もし

何らかの悩みや問題があるとしたら

こう自分に問いかけてください。



「この不安の代わりに

 どんな感情を感じたいだろうか?」




すると


「満ち足りた気分になりたい」


「幸せや喜びを感じたい」


誰でもそう思うでしょう?






満ち足りた気分も

幸せも 喜びも

「いま」の本質なのです。







つまり みんな

「いま」という本当の自分を求めている

ということなのですよ。



なのに私たちは

幸せや喜びが自分なのだとは気付かず

外側から得ようとするのですね。






幸せを外側から得ることなど

出来ないのです。




幸せは

偽りの自己という感覚が消えているときに

私たちの本質から自然と現れるものなのですから。










私たちのスピリチュアリティーは

どのように深まっていくのでしょうか。





瞑想を上達させることでしょうか?

何かを訓練することでしょうか?



そうではなく



本当の自分である「いま」に

気付いていくことです。


「いま」に気付き始めると

本当の自分と恋に落ちるのですよハート








本当の自分は

特定の「何か」ではなく

「無」そのものです。






自分が「無」だと聞くと

なんだか恐く感じるかもしれませんが




「無」ということは

「全て」ということなんですよ。






逆説的ですね。


真実は逆説的なのです。


不変の中に変化がある。






世界を見渡してみてください。

何もかも変化していくでしょう?



目に見えるものや起こっていることは

すべて変化していく「中身」なのです。





では

「容器」に当たる「いま」とは

何なのでしょうか?




それは「いま」だとしか

答えようがないですね。




「いま」は始まりも終わりもない

永遠です。




中身は常に変化し続けているので

私たちは

中身である肉体を自分と思い込むと

「自分は年をとって、やがて死ぬのだ」と

考えます。





でも本当は

私たちは生まれたこともないし

死ぬこともないのです。





これは言葉遊びではなく

まったくの真実なんですよ。





本当の自分は

ただ在るのです。






これがどういう意味なのか

頭では理解できなくても

ハートの中心では感じることができるでしょう。







それが「いま」という真実なのです。









  ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚










本当の自分である意識は

私たちの体の中にあるのでしょうか




それとも



意識の中に

私たちの体があるのでしょうか?








そうです。




意識の中に

体があるのですね。





本当の自分は

すべてを内包している容器なのですから





あなたが見るもの聞くものすべては

あなたの中にあるんですよ。





あなたの外側にあるものや

あなたの外側で起こっている出来事など

ひとつもないのです。







そして

容器と中身は別々なのではなく

常にひとつなのです。







自分が「いま」であれば

見聞きするものはすべて自分が創っているのだと

そう考えるでしょうが

もっと奥が深いんですよ。






<生徒>

見聞きすることや起こる出来事は

自分が体験したいことや必要なことだということですか?







<バート>


そうですね。

人生というものは常に

私たちに何かを教えてくれているのです。






不快だからとか 怖いからといって

何かを避けていても

向き合う必要があることは

起こってくるのです。






あなたに起こる出来事は

あなたの中から生み出されているのですよ。




こういうことは

あんまり認めたくないでしょうが

それが真実なのです。





そう知ると今度は

不快なことが起こったとき

あなたのエゴが



「自分が原因なのだから

 自分が悪いのだがっかりうさぎ


などと言い始めたりします。





罪悪感というものですね。

そんなことを考えても

事態はややこしくなるだけですよ。




どんなことが起こっても

ありのままの自分を責めないことです。

何かに気付くことができたことに感謝して

流せばいいのです風



しかし人は自虐的な感情を感じていると

ある意味、気分がよくなるものなんですよね。



「ほらね、どうせ私はダメなやつなんだよ怒

そういう思いが

否定的なエネルギーのエサになり

その否定的なエネルギーが肥大して喜ぶのです。

でもそれでは

被害妄想がひどくなるだけですよ。










いいですか?繰り返しますが






あなたはスペースであり

「いま」という意識なのです。





あなたが体験している世界は

現実ではないんですよ。



あなたが創り上げているものであり

人はみんなそれぞれ

独自の世界を生きているのです。







  ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚







スピリチュアリティーの意義は

あらゆる「恐れ」から解放されることなのです。





「問題」など何もないのだと気付いて




すべてから解放され

自由になることなのですよ。






自分が「いま」というスペースそのものであるという

その気付きが大きくなるにつれて

ますますイキイキと生きることができるのです。









いま話しているようなことは

ただの情報ではなく

あなたのハートが知っていることなんですよ。