2014/02/21

人間を超えていく


さらに つづきです。


<ティム>

意識的な存在として 今ここで
あなたと私は分離した形で現れている。

  ♪うさぎ

これは明らかな事実ですよね。


たとえば
私が頭の中で考え事をするとします。

私が何を考えているのか

私には自分で分かるけれど
リサには分からないでしょう?


根本は分離などしていない。

でも形として現れている存在は
それぞれ独自の体験をしている。


そういう明らかなことを否定していたら
いびつな幻想になってしまいますよ。


形のレベルでは
あなたと私は確かに別の存在なんです。

ある視点ではすべてが無だけれど
別の視点では あらゆる形が存在する。

それぞれ独自の意識体験をして
別々の身体を持っている。

それは否定できないですよね



<リサ>

もちろん否定できますよ。

そういうのは概念だし
身体があるというのも単なる想像です。

今あなたが話したことはぜんぶ
言葉による解釈に過ぎません。


<ティム>

私たちの思考や会話は
すべて言葉になるなのだから
それはどうしようもないでしょう。

何でも
「そんなの単なる言葉だ」と言っていれば
リサは必ず正しいわけです。
会話は常に言葉なのだから。



形のレベルの分離だけを見て
根本はひとつだという事実を知らずにいるのは
とても大きな喪失だけれど

逆も同じことで
分離した現れという事実を無視するのも
やはり大きな喪失でしょう。



<リサ>

あまり納得できません。

すべてはあるがままで
起こることがただ起こっているだけ...



<ティム>

あなたは そう見ているんですよね。

私は その視点だけがすべてだとは見ていない。

こんなふうに
あなたと私には違いがあるでしょう。

源はひとつだけれど
形のレベルでは リサと私の 2人の会話です。


<リサ>

人生がただ起こっているだけです。

私には
あなたも私も見えません。

リサは どこにもいません。


      ☆



<ティム>

伝統的な禅に
こんな素晴らしい描写があります。

’ 山は山、川は川に見えていたが

 突然
 山が山ではなく、川が川ではなくなる

 そして再び
 山は山山 川は川となるどんぶらこ ’


すべては無であるという悟りを得た後
再び人間的な視点を取り戻し
あらゆる現れを形として見るということです。


ニサルガダッタも同じような描写をしていました。


’ 叡智は 「私は無だ」 と言う

  愛は 「私はあらゆるものだ」 と言う

  人生はその両方の間を漂う  ’



分離と非二元

私たちはいつでも
両方に生きていてるのです。


      ☆


<リック>

世界にはいろんな物や現象があり
多様性に溢れているけれど

それは表面的にそう見えるだけであって

どんなものも
その本質を突き詰めていくと「無」になる、
世界はバーチャル・リアリティーだと
現代の物理学でも説明されています。

でもそれを理解したところで
「何も存在しない」 「誰も存在しない」
ということだけが真実とは言えないのではないでしょうか。


たとえば

重力も量子レベルでは無になる。
つまり突き詰めれば
重力は存在しないと物理学者は言えるけれど

それが事実だからといって
ビルから飛び降りても下に落ちない鳥ポケモン
ということになりますか?



<リサ>

う~ん........笑



<ティム>

とても重要なポイントですね。


科学が非二元の教えとよく似た
深淵なシンプルさを発見したのは
すばらしいことです。


そこで謎となるのは

私たちを創っているこの個別性や複雑さが
それほどシンプルな「無」から
一体どうやって現れているのか?ということでしょう。


ですから
非二元の視点を最終地点とすることなく
歩き続けることが大切だと感じるのです。



私は理性を度外視するのではなく
理性を超越した探求に興味を持っています。

理性を排除するわけでもなく
科学のように理性ありきの姿勢でもない。

理性を超越するとは
理性も包括しているということです。


言い換えると
人間性を超越するということ。

それは
ひとりの人間としての視点も
包括するということです。


非二元と等しく 二元性も真実。

それで失うものなど何もありません。















6 件のコメント:

  1. リサさんとティムさんの話はとても面白いですね。ティムさんの話をもっと聞きたいと思いました。

    返信削除
    返信
    1. KOJIさん

      コメントありがとうございます。
      私もティムの問いかけに引き付けられています。

      自我からは非二元の視点が見えないのと同じように、
      非二元の次元だけでは更なる真実は決して見えず、
      それは「神秘」で済まされるようなものではなく、
      見えていないだけだと感じます。

      ティムの他のインタビューも興味深いのでまたシェアしますね。

      削除
  2. こんにちは。
    アジャシャンティさんの訳を探していたのですが、このティムさんのお話とあわせて読ませていただき、とてもこころが軽くなりました。
    翻訳、感謝いたします。ありがとうございます。

    返信削除
    返信
    1. こんにちは。
      雑な訳で恐縮なのですが、そのように感じていただけて嬉しいです。
      こちらこそありがとうございます!

      削除
  3. はじめまして、こんにちはヾ(゚Д゚)ノ゛
    大変興味深い対話でした。
    最近、「全ては幻想である」とするのもまた幻想なのではないか、という思いでいまして、しかしなかなかこの考えに合致する文章などが見つからず、こちらの対談は大変貴重なものに思えました。私はティムさんに共感します。
    ありがとうございます。

    返信削除
    返信
    1. 匿名さん

      はじめまして。コメントありがとうございます!
      この対話が行われている番組では、他の方がゲストの時もこのようなテーマが割とよく取り上げられていて面白いですよ。
      また機会がありましたら記事にさせていただきますね⭐︎

      削除

☆コメント投稿後すぐには表示されず、管理者が確認した後に表示されます。
宣伝・誘導・記事の内容と無関係なコメント等は公開されない場合があることをご了承お願いします。
(初期の型のiPhoneからはコメント投稿できないことがあるようです)