2014/02/25

目覚めにまつわる迷信

(アジャシャンティのサットサンより)

覚醒や悟りについての描写や教えには
実際には目覚めや悟りとは関係ない内容がとても多いので
みなさんが誤解されていることも多いでしょう。

そのような迷信はほとんど気付かないうちに
目覚めへの足かせとなるので
いくつかの誤解を見ていきましょう。


よくある誤解の1つは

いろんな種類の神秘体験を
覚醒や悟りと混同している
ということです。

関連付けられて語られることが多いですが
覚醒と神秘体験には
大きな隔たりがあるのですよ。

とても魅力的な体験ではあるけれど
神秘体験はあくまで神秘体験でしかないのです。



周りと融合してひとつになったとか、

意識がどこまでも拡がったとか、

現象世界の原理が見えた、
               
クンダリーニが昇華した、

光や神聖な存在が見えた、

宇宙の起源を瞬時に理解した、

至福感に包まれて放心状態になった...


まだまだありますね(笑)


ついに意識の中に青い真珠を見た、

ハートチャクラが開いた、

クラウンチャクラが開いたとか
    
     
人によってはそのような神秘体験が
目覚めの副産物となることもあります。


しかし
目覚めとは関係なく起こることのほうが多いのですよ。


通常の意識状態より
ずっと深く豊かで幅広い体験をする能力を
人は潜在的に持っているんですね。

さきほど例に挙げたような神秘体験は
そういう潜在能力が発揮されたということであって
覚醒や悟りとは関係なく起こることが多いのです。

魅力的な体験ですが
覚醒とは大きく異なるんですよ。


そのような神秘体験を山ほど体験しながら
根本的な存在の真実に目覚めていない人も
とても多いのです。

ですから
神秘体験と 真実への目覚めを混同しないことは
とても重要です。


マンジュシュリ、シバ、シャクティなどと呼ばれる
宇宙に漂う集合的なエネルギーに接触するような体験も
すばらしく深いものですが

これもやはり悟りや目覚めではなく
ただ
現象世界の微妙な部分を見ているだけのことです。


たとえば このテーブルや肉体は
現象世界の中でも
かなりハッキリと現れている部分ですが

一方、現象世界の中でも
とても微妙な部分を体験することが
神秘体験と呼ばれるもので

スピリチュアルの探求をしていると
そのような体験をすることはよくあるのです。

もともと神秘体験をしやすい体質というのもあります。


神秘体験をしにくい体質の人は
めったに体験しないけれど

もともと神秘体験をしやすい体質の人は
5分も瞑想していれば光のショーが始まったり
しょっちゅう体験する(笑)

別にそれが悪いわけではないんですよ。
ただそういう体質だというだけですから。


神秘体験をしやすいかどうかは
どちらでもいいことであって

神秘体験は真実への目覚めではないと
知っておくことは重要です。


そのような体験をする能力が
私たちには潜在的に備わっているので

人によっては目覚めの副産物のように
神秘体験が起こることもあり

目覚めには神秘体験が関係するのだと
誤解されてきたのですが
実際は違うのです。


そのような体験を
真実への目覚めと勘違いしないことが重要です。


十分に目覚めていて 深い悟りの状態にありながら
ほとんど神秘体験をしない人も とても多いのですよ。


でも神秘体験をしたことがない人は大抵
自分も体験してみたいと思っていて

体験したことがある人は
もっと体験したいと思うんですよね(笑)

まるで悟りとは
ある種の神秘体験をずっとしていることであるかのように。

でもそうではないんですよ。

このような迷信は放り投げたほうがいいですね。

神秘体験を追い求めたり
その体験を長引かせようとしたりするのは
時間とエネルギーのムダですから。

楽しい体験ではあるけれど
それも来ては去っていくものです。




 





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