2014/02/12

世界の見え方

(アジャシャンティのサットサンより)

<質問者>

あなたから見て実際
世界は映画のように見えますか?



<アジャ>

私は何かを断言するのは嫌いです(笑)


できるだけ簡単に明確に答えてみましょう。

こういう類の話をすると
とんでもない「グル」のようなイメージになることが多いですが
実際はグルでもなんでもありませんからね。



この「気付き」。

からっぽで
触れることも掴むこともできない無が
ただありますね。


それはすべてを観ています。

この世界というお芝居の
登場人物のことも
登場人物たちがやっていることも
すべてを観ています。

 

この気付きには
ほとんど無限の視点があるのです。


ですから

「世界はどのように見えるのですか?」と聞かれたら


「映画のようで、何の問題もない
と言える視点にも立てますし

「何か問題が起こっているようだ
と言う ひとりの人間の視点にも立つこともできます。


あなたが想像しうる限りの
どんな見方でもできるのです。

意識には
文字通り無限の視点があって
どこの視点にでも行けるのですから。


なので
「私にはいつもこのように世界が見えています」
などとは言えないのです。


不変の真実については別として
世界がどのように見えるかということに関しては
どの見え方が特に重要だということはないのです。

あんな見え方や こんな見え方が
次々と起こっては消えていく。



「気付き」にとって
特定の見え方が特に重要だなんてことがあるでしょうか?

そんなことはありません。

訪れては去っていく
単なるひとつの視点に過ぎないのですから。
ただそれだけのことです。




「悟ったら世界がどんなふうに見えるのだろうか?」

「いったい、どの見え方が正しいのだろうか?」 

マインドはそんなふうに知りたがりますが




悟った見え方というのは

『 ” これこそ悟った正しい見え方 ” なんてものは無い』

と知っていることですよ。




映画のように見えるというのも
ひとつの視点です。

そういう視点に立ってもいいですし
とても役に立つでしょう。

でも単にひとつの視点に過ぎません。


気付きは
ただ最もシンプルに あるがままに観る。
それだけです。

そして すべてOKなのです。


もしも
ガチガチの人間的な見方であろうと
”悟った人”の見方であろうと

何か特定の見方にしがみつこうとすると
苦しみに巻き込まれるのですが

しがみつこうとしなければ
何でもOKなのです。



ですから
真実には
”これが正しい見え方”というものはありません。

真実には特定の世界観など無く
そんなことを遥かに超越しているのです。





 




2 件のコメント:

  1. お久しぶりです。
    何時も素敵な翻訳ありがとうございます。

    もう翻訳止めたのかなと思っていたので、
    安心しました。

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    返信
    1. 匿名さん
      ありがとうございます。

      ブログを休もうと意図したわけではないのですが
      成り行きでだいぶ間があいてしまいました。

      でも、そのおかげか
      前は見えていなかったものが見えてきたような気がします。

      また少しずつシェアしていきますね。

      削除

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