2014/03/02

ゆっくり夜が明けてきた


(アジャシャンティのサットサンより)

<質問者>

質問というより報告なんですが
こういう場で たくさんの人が話しているような
大きな「目覚め体験」を
私はしたことがないのです。

目からウロコが落ちるようなことも
時々はあるんですけど

それでも
大きな体験と言えるようなものじゃなくて

いろんな幻想が だんだん はがれ落ちていって
少しずつ目が覚めてきているかな?という感じで
   
「もういちど味わいたい」と思うような
劇的な目覚め体験はしたことがないんです。


<アジャ>

それでOKなんですよ。

目覚めは
突然起こることもあれば
じわじわ起こる場合もあるし

劇的な気付きと じわじわした気付きが
混ざり合った目覚めも多いのです。

目覚めに至るプロセスは
どんなパターンでもあるんですよ。


夜明けに太陽が昇るとき
最初は少ししか見えていなかったのが
だんだん大きくなって全体が見えてきますよね。
   

少しずつ目覚めるパターンも
それと同じようなイメージで
気付きがだんだんと明瞭になってくるのです。

そういうパターンもよくあるんですよ。


<質問者>

今まで
いろんな人の体験談を聞いてきて

目覚めというのは
大きな体験が何回か起こって
段階的に進むのだというイメージがあったんですね。

でも私の場合は特に大きな体験がないので
自分がどの段階にいるのかも
目覚めの方向に向かっているのかも
分からずにいました。

でも同時に
自分がものすごく変化したのも分かるんです。

たとえば
悩むことがあまりなくなりました。

何も改善する必要ないのだということが
本当に腑に落ちるまでには
長い時間がかかったけれど

今ではもう
何かを改善しなきゃとか
解決しなきゃという気持ちが弱まって

このままでいいのだと感じることが
ずっと多いのです。

批判的になったり
傷付くのを避けようとするような気持ちも
だんだんなくなってきました。
  

<アジャ>

すばらしいじゃないですか。

劇的な目覚め体験だろうと
じわじわとした目覚めだろうと
まったくどうでもいいことですよ。

言葉にすると
どうしても相対的な表現になるので
目覚め方に違いがあるように聞こえる。
それだけのことなんです。

劇的な目覚めといっても 

「あ、これだったんだ」

これをずっと知っていたのに
 完全には気付いていないだけだったんだ

ある瞬間にふと分かるだけで 
そんなに大したことではないですし
     
 
じわじわ目覚めていくことも
本当によくあるんです。


話してくれてありがとう。

目覚めは特定の体験だけじゃなく
いろんなパターンがあるのだと
今の話で知ることができましたよね。

言葉には制限があるけれど
今のような話ができることは
こういう集まりの恩恵だと思います。


目覚めのプロセスには
人の数だけパターンがあるんですよ。

劇的な目覚め体験がないことは
実は恵まれているとも言えるでしょう。

過去の体験に執着しなくて済むのだから。


<質問者>

確かに
自分がどの位置にいるのかも分からないし
今はそんなこと気にもなりません。


<アジャ>

どの位置にいるのかなんて
知る必要もないことですよ(笑)


<質問者>

だんだんラクになってきています。


<アジャ>

それこそが
目覚めが起こっている証拠なんですよ。

どんなふうに目覚めるかなんて
まったく問題じゃないのです。


すばらしい例でしたね。


劇的な体験じゃなく
じわじわとした動きや ほんの微細な変化でも
軽く見る必要はありませんよ。

自分の中で
気付きが大きくなってきていることを
見逃さないでください。

真実が姿を現そうとするとき
そのプロセスは本当にさまざまで

どんな現れ方であっても
真実が花開こうとしているのです。

それを否定しないことですよ。





  







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