2014/02/19

この世は夢だというけれど


ティム・フリークとリサ・ケアンズの会話です。


ティムは
個人や行為者はいないという真実と同時に
個人としての視点や個別の現れもまた真実であると言い
アジャシャンティのこの話のように)

リサは
あくまで個人などいない、行為者など誰もいない、
私もあなたも誰もどこにもいない、
ひとりの人間としての視点さえないと
トニー・パーソンズと同じような話し方をしています。


ふだんは人々に教えている立場の人同士が
それぞれの見方の違いについて
このように会話をしているのは珍しいと思いました。


こちらからざくっと訳しています。







<リック・アーチャー(司会者)>

しばらく前に

「誰が夢のバスを運転している?」という映画を撮った
ボリス・ヤンシュから連絡を受けました。

     バス

その映画のテーマについて
ロンドンで会合を開くらしいのですが

その前に
この番組で同じテーマについて話し合い
それを放送したらどうかと提案してくれたのです。

それで、おもしろそうだと思って
今回ティム・フリークとリサ・ケアンズを招待しました。



ティムは哲学者、英知を大切にしている人で
日常的な人間性を受け入れながら
スピリチュアルの覚醒を体験するための
シンプルな方法を開拓しています。


リサは世界中の人々に
非二元やワンネスについての教えを説いています。


ここでボリスに
ご自身と映画の紹介をしていただきましょう。



<ボリス・ヤンシュ>

「誰が夢のバスを運転している?」は
15年前から始めたプロジェクトです。

私は制作会社を経営していたのですが

20代前半の頃
人生の大きな問いに対する答えを渇望しはじめ

明晰夢、幽体離脱、レイキ、催眠術、瞑想など
とにかく何でも試してみましたし
スピリチュアルや哲学の本もたくさん読みました。

       読書中

でもいつも
「次は何を試せばよいのだろうか?」と模索し続け

渇望感が
ついには絶望感に変わっていきました。
    ブタ


その経験が

「私は誰なのか?」

「目覚めたまま見ているこの夢とは何なのか?」

という大きな問いについて
たくさんの人に話してもらって映画にする
という発想のもとになったのです。

本やYouTubeを通して知った人たちに連絡を取り始め
だんだんと膨らんできました。




最終的に私は
非二元の教えに引き付けれました。

それは
宗教や哲学やスピリチュアリティーなど
生についてのあらゆる教えを超越する
最終地点のように感じたのです。


この映画の内容を簡潔にまとめると

ティム・フリークやトニー・パーソンズ、ジェフ・フォスターなど
何人かのすばらしい語り手の話を通して
大きな問いへの答えを探求するというものです。




<リック>

リサは映画には出ていないけれど
ロンドンの会合には参加するんですよね。


興味深いことに ボリスが言うには
リサとティムはいくつかの点で
見方が異なるらしいのです。

だからきっと今回は
おもしろい話し合いになるだろうということでした。


では二人から
映画のテーマになっていることについて
それぞれどのように見ているのか
話してもらいましょう。



この映画のタイトルは
世界は夢であり 幻想なのだ
ということを示唆していますね。


誰も夢のバスを運転していない
という見方があります。

特にトニー・パーソンズは
そもそも「人」などいないのだから
やるべきことも何もない。
すべては自動的に起こるのだと強調していますね。

しかし
運転している人はいるという見方もあります。

人など誰もいない、というのは
あるレベルではその通りなのだけど

誰もいないという事実と同時に
ひとりの人間としての私がいるという事実も確かにあって
その視点からは選択もするし自由意思もあると言えると。

リサはどちらの見方をしていますか?



<リサ>

運転している人は誰もおらず
人生はただ起こっているように見えます。

表面上は
人が何かを決断をしたり考えたりしているように思えても
実際は運転していることにはなりません。
何かを自分の意思で選択している人はいないのです。



<リック>

つまり
何かを決めたり選択をしている人はおらず
夢の中で
選択はただ起こっているということですね。



<リサ>

選択は起こるのです。

何らかの行動が起こったり
何か考えが浮かんだりするときも

その行動や思考が「誰か」に起こるわけではなく
ただ起こる、ということです。



<リック>

お茶を飲む人もいない、
何かを考えている人もいない、
犬を飼っている人もいない、

「人」など誰もいなくて
ただ人生が起こっているということですね。



<リサ>

特定の誰かがやっていることなど何もなく
いつでもただ起こっているのです。
とってもシンプルですよ。

「’誰か’がやっている」というのは
解釈にすぎません。



<リック>

ティムの場合はどうですか?



<ティム>

いまリサが話したことは...

全体像の半分だけについて言うなら素晴らしい描写だ
と思います(笑)


私も長い間
リサと同じような見方に留まっていましたし
今でも魅了されていますが
さらに先があるのです。


そのような見方が最終地点だと結論づけることには
かなり懐疑的になんですね。

私には
そこがまたスタート地点だと感じられるのです。



この世界のことを
科学でもいろんな比喩で表現していますよね。

自分で操作できないジェットコースターだとか
ホログラムだとかコンピューターだとか。

これは客観的な表現ですね。



一方 
スピリチュアルは主観的な探求なので
比喩を使うときも主観的な表現になっています。


「この世界は夢だ」というのが
分かりやすい比喩ですね。


「夢」という例えは私もよく使います。

私の実際の体験のとても重要なところを
生々しく的確に表現しているからです。


目覚めた状態というのは
私から見ると
明晰夢を見ているようなものなんですね。

明晰夢という比喩でピッタリくるのは
起き上がって
「なんだ、夢だった」と言えるわけではなく

自分は相変わらず夢の中にいながら
同時に
その夢は自分の中にあると気付いている

ということです。



夢の中で あなたは

ひとりの人間として生きていて
何かを決断したり
個人的な視点からものごとを見て

夢の中にいる他の人たちと関わりを持ち
起こる出来事にも関心を持って
いろんなおもしろいことも体験して
ストーリーにも巻き込まれますね。


夢だと気付かずに見ている夢では
その視点が全てなのですが

明晰夢の場合は
それと逆の視点も同時に事実なのです。


つまりあなたは
すべてを夢に見ている側。

その視点では
あなたは夢全体です。

すべてのもの、すべての人が
あなたなのです。


美しいパラドックスでしょう。


あなたは

分離した個人でもあり
同時に 
あらゆる全てでもある。


このような描写のほうが
私が体験している感覚にピッタリなのです。

両方の見方が共存していて
どちらか一方だけが真実というわけではない。

両方とも真実の一部なのです。



リサが言った通り
とてもシンプルで
すべてがひとつで
すべてがただ起こっている。

一方で

すべては個人的で
とても複雑で
いろいろ気になったり傷付いたりして
実に人間的。


この両方が共存しているのです。
驚くべきことですよね。



興味深いのですが

このような会合が起こっているのは...
まぁ確信はないけれど

非二元のコミュニティーが
進化していっているからではないでしょうか。

そうだったら嬉しいですね。


15年か20年くらい前に
私が非二元の教えに出会ったとき

その頃は非二元の教えが
今ほど普及していなかったのですが

ラメッシ・バルセカールなどが説いていた
徹底した非二元の教えに多大な影響を受けました。

そのときほど
ものごとがハッキリと見えた体験はなかったので
とても興奮したものです。


でも
それで終わるかと思った探求は
終わりませんでした。



個人としての視点しか持っていなかったときは
幻想は取り除きたいものでしたが

すべてはひとつだ!」と実際に見えたとたん
幻想が興味深くなったのです。


本当だ、すべては夢だ!


じゃあ


この夢は何なんだ?
なぜ夢がある?
単なる何かの間違い?

個人としての存在や 人類の長い歴史など
何もかも間違いで
消え去ってしまえばいい幻想に過ぎないのか?


実は 夢の世界のことも重要で
かけがえのないものではないだろうか?


でもそれを本当に見極めるためには
すべてはひとつだと見えている視点も必要なんですよね。


そうやって
ますます興味が湧いてきたのです。




つづく








2 件のコメント:

  1. うわ~ 素晴らしいですね。
    続きがまたとても楽しみです。
    こんな貴重なものを有難うございます。

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    返信
    1. 空愛ジョイさん

      こんにちは。
      この会話は本当におもしろかったです。
      いわゆるサットサンよりかなり深いかもしれません。
      こういう形式の会話どんどんやってほしいなと思いました^^
      ありがとうございます。

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